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解きほぐすとき(テキスト:西川美穂子)

西川美穂子(東京都現代美術館学芸員)2008年、東京
(この文章は、2008年に東京都現代美術館で開催された「MOTアニュアル2008 解きほぐすとき」展のカタログから抜粋されたものです。)

 

5.構造の可視化

目に見える世界を疑い、確かめる手段として、その裏側や構造を覗いてみるという方法がある。手塚愛子(1976年生まれ)は、織物を解体することでその構造を顕在化させる仕事をしてきた。《縦糸を引き抜く 新しい量として》(2003年)、《縦糸を引き抜く-五色》(2004年)は、いずれも既存の織物の縦糸を引き抜き、おもてに現して見せたものである。それぞれの副題が示すとおり、落ち着いた色合いのゴブラン織からは想像できないような鮮やかな糸が、塊や色として目の前に引き出される。織物は、縦糸と横糸とによって面を形成し、その組み合わせによって図案が表される。身の回りのどんな布製品も同じだが、あらためて普段おもてからは見えない縦糸と横糸による構造が明らかにされることで、新鮮な驚きが与えられる。本展出品作以外に手塚は、既存の織物をほどいた《弛緩する織物》(2005年)*(11メートルの解体された織物の糸が弧を描いて床に広がる)や、二枚の織物のほどいた糸をさらに織り直した《織り直し》(2005年)*などで、絵画と織物の構造を意識した作品を発表している。

手塚は大学で絵画を専攻していたが、3年の時、刺繍を用いた作品を制作したことをきっかけに織物を素材とする作品へと発展、以来絵画と平行して織物による表現を続けてきた。外側しか見ることのできない絵画が含む時間や過程、素材をどのように見せることができるかという問題意識から出発しているのである。《糸 会》(2007年)は、織物の縦糸を抜き、カンヴァス用の木枠に張った作品である。ほどかれたことにより輪郭がぼやけ、色が滲んだ模様は、新しい絵画として生まれ変わる。絵画の「絵」という漢字は、「糸」が「会う」と書く。手塚の作品は、物質としての色が出会い、合わさることで成立する絵画の構造を再確認させる。《薄い膜、地下の森》(2007年)*は、「薄い膜」=直径7メートルの円形の布に施された刺繍の5万本の糸が垂れ下がり、「地下の森」を形成しているインスタレーションである。糸の森をさまよった観客が外へ出てその表面を確認すると、それがケルトや日本の文様が融合した刺繍を形成していることに気づかされるのである。刺繍は、ほどいて元に戻すことが可能な糸の集まりによって絵柄を構成する。手塚は刺繍のおもてと裏を同時に見せることで、薄い膜としての絵画の多層的なあり方について言及する。また、織物を解体することで構造を顕在化し、織り込まれた時間を引き出して見せるのである。

これまで、時間を遡って素材に還元するという方法を取ってきた手塚だが、引き抜いた糸を刺繍し直すなど、解体の後に再構成する作品の制作を経て[1]、本展で初めて糸を織物へと昇華させている。新作《層の機(はた)》は、手塚が制作した図案を機械織で織物にし、まだ織られていない部分の縦糸を残したまま見せる作品である。色とりどりの縦糸が天井に伸び、巨大な織機の前で制作途中の織物を見ているような感覚を起こさせる。ここでも手塚は、縦糸と横糸の組み合わせで平面を形成し、図柄を編み出す織物の構造を顕在化して見せた。織られているのは、古今東西の様々な文様と襞表現が重なり合った図案である。エジプトのコプト[2]の貫頭衣に施された図案(7世紀、9-10世紀)、正倉院宝物の上代裂の染織文様(奈良時代)、桃山時代の亀甲文、19世紀フランスの装飾布の文様など、場所や時代の異なる様々な文様を採用し、何度も重ね合わせ融合させている。さらに、中宮寺の半跏思惟像(飛鳥-白鳳時代)、東慶寺の水月観音像(鎌倉時代)の裾、ベルニーニの彫刻《聖女テレサの法悦》(17世紀)のスカート、ギリシャのプラクシテレス《ヘルメスと幼児ディオニュソス》(紀元前4世紀頃)の布、カラヴァッジョによる絵画(17世紀)に描かれたカーテンなどから襞の表現を切り取り、文様の上に重ねている。重なり合った文様がこれらの襞表現とも融合し、襞の陰影に沿って文様が貼り付いている。

博士論文「織りとしての絵画」において手塚は、自身の作品を語る上で、まず糸と布、織物の歴史を紐解いている。糸を織ることで平面としての布を手にした人間は、それを敷く、掛ける、着ることで生活を豊かにしてきた。そこに織り込まれる絵柄や文様は、住居や衣服を彩る装飾として、あるいは祈りや伝達のためのメッセージとして機能する。文様は植物など自然から採用されることも、すでに記号化した文様の組み合わせでできることもあるだろう。いずれも、人々の伝えたい想いが形となって表されたものと言える。文様は、異なる文化が融合する中で変化し、新しい型が作られていく。作品の中で様々な文様を重ね合わせる仕事をしてきた手塚は、異なる地域間で文様が伝達されていく軌跡を制作の中でじかに感じ取っているという[3]。油彩《空白と充満を同時にぶら下げる》(2004年)で手塚は、インド更紗に見られる文様とヨーロッパのレース模様とを同一平面上に表し、時代や地域による分類を排除し、それらによって抜け落ちてしまう空白を掬い上げる試みをした。このたびの織物のインスタレーションでは、さらに地域、時代、宗教や文化の異なる文様を幾重にも重ね合わされた。私達は普段、歴史の線上に物を見、分類する。手塚の作品の中ですべての文様は、所属する文化の背景の違いにかかわらず、画面を構成する一要素となる。個別の文様が持つ意味が一度剥ぎ取られ、等価なものとして手塚の手で再構成されるのである。出会わないはずの出会いを起こすことで、予定調和からずれたところにある何かを表現しようとしているとも言えよう。手塚の制作は、文様が生まれる時の、あるいは文様を布に織り込む際の人々の欲求や想いに近づこうとしているようにも思われる。他の出品作家同様、手塚もまた、すでにそこにあるものに光をあて、見えにくいものを可視化しているのである。

もう一つの織物の新作《層の絵-縫合》では、同じ縦糸を共有する左右異なる図案が表されている。左は東洋的な文様の上にヤン・ファン・エイクによるゲントの祭壇画から採った聖母のスカートの襞などが貼り付いており、右は西洋的な文様の上に東慶寺の水月観音の裾の襞などが重ねられている。格子の布から引き抜いた糸で刺繍した《grid – eyck》と《grid – suigetsu》も同モチーフを用いている。エイクと水月観音の襞は、元々異なる質感や奥行きを持ちながら、線のみに還元するとその形は等しく同じ「襞」として見えてくる。絵画にしろ、彫刻にしろ、衣服の襞は、その主題に付随する二次的な要素であるにもかかわらず、どの時代にも熱心に描写されてきたことがあらためて見て取れる。襞は、布の立体的な側面を浮かび上がらせる。伸ばしてしまえば一つの平らな面でしかない布が、襞を持つことで立体的で有機的な形態と陰影を与えられる。主体と客体の間にある境界が波打ち、おもてと裏が交互に代替可能なものとなる時、立体的な世界が把握可能になる。主体と客体は分かちがたく表裏一体であることが認識されるのである[4]。表層であるところの絵画の奥に秘められた色と形の重なり=「層」をテーマに制作を続けてきた手塚の新たな展開をここに見ることができよう。

 

[1] 格子模様の布が作る線の部分の糸を引き出し、その糸で引き出した布に刺繍をする《途中の遣り直し:格子をほどく》(2007年)*。ストライプの布から糸を引き出し、やはりその布に様々な文化から引用した文様を刺繍した《気配の縫合-名前の前に》(2007年、府中市美術館公開制作)*など。

[2] 「コプト」とは元来、エジプトのナイル川上流・中流の乾燥した地帯に土着のキリスト教徒を意味し、3世紀頃から12世紀頃のコプト人による文化を指す。手塚は、アラブ人がもたらしたイスラム文化との拮抗の中で、異なる文化と融合しながら築かれたコプトの独特の文化に関心を持っている。

[3] 筆者から作家へのインタビュー(2007年12月1日)

[4] Deleuze, Gill, Le Pli Liebniz et le Baroque, 1988(ジル・ドゥルーズ『襞:ライプニッツとバロック』宇野邦一訳、河出書房新社、1998年)におけるライプニッツの哲学をバロックに代表される襞表現との連関で見るドゥルーズの考察を例に取ることができよう。