Reference
「不在の代理となる表現が結ぶもの - 物語を切開し縫合すること、組み替え、語り直すこと」Text by 今泉岳大(岡崎市美術博物館学芸員)
(抜粋)
手塚愛子の「閉じたり開いたり そして勇気について」は感情史のプロセスと重なるものである。詳細は後述するが、手塚は日本の江戸時代の鎖国/開国という歴史を「勇気」という視点によって読み直しを行う。手塚は鎖国と開国に際して、当時の人々が抱いた不安や好奇心を資料から読み取り、その心の働きが人間活動に通底するものであるとして、改めて現代を見つめ直す。現代における心の再構築という要請に対して美術ができるのは、既存の概念を飛び越えて新しい見方や考え方を提示することや、遠い過去や未来、本来であれば繋がりえない物事を接続し、読み替え、組み替えてゆく機能を社会の隙間に差し込むこと、それによって人々が未知の現実や事柄について考え、思うこと感じることの幅を増やし、その質を高めてゆくことである。
(中略)
手塚愛子は織物を素材に作品を制作する美術作家である。手塚はこれまで絵画の研究から織物を解く作品を制作してきた。それは経糸と緯糸によって組み織られた織物を絵具の層で構成された絵画に見立て、織物の糸を部分的にほどいてゆくことで、絵画の構造を解体し再構成するという独自の手法である。織物をほどくことは、織物が織られた時間、流れた時間を遡ることであり、織られた方法やその仕組みはもとより、制度や歴史を紐解くことにもなる。織物から時間をかけて一本一本糸を引き抜き、繊細でありながらも迫力あるインスタレーションへと変容させる手塚の手法は絵画と織物、美術と工芸、日本と西洋、過去と現在を辿り直し、織り直すことを通して新たな解釈を試みるものだと言えよう。
本展で手塚愛子が発表した「閉じたり開いたり そして勇気について」シリーズは、手塚が日本の鎖国と開国の歴史に興味を持ち、長崎県の出島とその歴史に関わりのあるオランダのライデンなどで調査とフィールドワークを行い、2023年から制作をはじめた織物の作品である。出島は1636年、日本がキリスト教の布教を規制するために、日本に滞在するポルトガル人を管理するため造った人工の島であった。1637年に起きた島原藩によるキリシタン迫害が引き金となって起こされた島原の乱以降、ポルトガル人は日本から排斥され、この反乱で幕府側についたオランダ人が平戸から出島に移住し、オランダ商館が移転された。以降開国まで200年以上、出島は鎖国時代に唯一西欧と貿易する拠点として近代化に重要な役割を果たした。
手塚は江戸時代の鎖国と開国によってもたらされた日本の生活様式や外交政策の変遷と、現代のインターネットによって世界に繋がる状況を重ね、それらを象徴するモチーフを作成して織物の図案をデザインした。更紗やネーデルラントの16世紀のタピスリーなどが組み合わされた日本や世界の大陸図、鎖国中でも欧州で唯一貿易が許されたオランダ連合東インド会社の「VOCマーク」、潜伏キリシタンたちが保持していただろう「聖心文様」、日本の開国当時に作られた和英辞典、現代の象徴である絵文字などが、集合知であるAI生成画像によって作られた「蜘蛛の巣」を背景に配置されている。
近世と現代は情報革命という大きな過渡期にあるという点で共通している。15世紀半ばに幕を開けた大航海時代は主にポルトガルやスペインによるアフリカ、アジア、アメリカへの大規模な航海と交易によって繋がりのなかった地域が接点を持ち、それまでは知り得なかった情報が交換される契機となった。博物館の原型と言われる15世紀からヨーロッパで流行したヴンダーカンマー(驚異の部屋)は、ヨーロッパ人が世界中から集めた珍品を凝縮した空間であったが、物品が交換であったか搾取であったかはさておき、ヨーロッパ人によって世界中にネットワークが張り巡らされたことを意味している。ヴンダーカンマーとそれを原型としているミュージアムは、世界を蒐集したいという知識欲・所有欲に突き動かされた制度である。大航海時代における未知のものとの繋がりは、当時の人々の情報への欲望を喚起するものであった。
改めて触れるまでもなく、現代では今や生活の中で欠かせないものとして浸透したインターネットにより、私たちは仮想的に世界中と繋がり、人類史上新しいコミュニケーションを獲得した。インターネットが私たちの情報への欲望を喚起したのはある意味では、自分の外側に広がる未知のものではなく、むしろ既知のものの細部である。膨大な情報が保存された集合知であるインターネットは、私たちが知っていたけれども知らなかったことの詳細を教えてくれる。私たちはインターネットを通して隠された真実を知ろうとし、他者の本心や本性を知ろうとする。それは逆に言えば、他者が同じように自分の本心や本性を知ろうとすることであり、それを隠したい私たちはインターネットによるコミュニケーションを警戒し、表現を委縮させる。手塚が本作の図案に配置した電子メールで使用する絵文字(お口にチャック/逆さまに笑う/涙する/内緒/ハート/ラブレター/グッドラックなど)は、SNSなどインターネット上のコミュニケーションにおいて、記号ひとつで相手にメッセージを届けることができる軽さと、一方で記号に託すことで省略、あるいは切り捨てた想いや感情の重みとの揺れを指摘する。
背景の「蜘蛛の巣」が繋いでいるのは、大航海時代以降、物理的なアクセスが可能になったことで世界地図として繋がった日本とヨーロッパをはじめとした世界であり、情報革命の過渡期に生きる近世と現代の人々である。手塚がこの「読む織物」のタイトルに「そして勇気について」という言葉を付したのは、「閉じる」ことと「開く」ことの葛藤にある不安、「開く」という決断に伴う「勇気」という感情への注視である。17世紀にヨーロッパから日本にやってきた渡航者たちは危険な航海に挑んで日本に辿り着いた。そして、言葉が通じず、何を考えているかもわからない外国人である日本人と外交を試みた。一方で日本人もまた侵略される不安を抱えながら、開国を受け入れ外交に乗り出した。《閉じたり開いたり そして勇気について》というタイトルは、17世紀以降の鎖国と19世紀の開国に関わった渡航者と、江戸から明治期を生きた日本人の双方が開国という選択を選んだのは、外交政策という政治的理由だけではなく、未知のものと交流を図ろうとする好奇心や勇気がその選択を後押ししたのではないか、というメッセージを含んでいる。
こうした手塚の視点は、自身が2010年から制作と発表の拠点を日本からロンドン、そしてベルリンに移し、欧州を拠点に活動してきことと重ねられている。手塚が「勇気」という言葉を意識したのは、異国でアーティストとして活動している彼女に対して、知人から「君は勇敢(brave)だ」と言われた経験からだという。おそらく、手塚は自身のこれまでの美術作家としての活動において、「勇気」を意識すること、「勇気」という言葉で自分を鼓舞することなく、粛々と作家活動に邁進してきたのだろう。故に、他者の客観的な視点から自分が「勇敢である」「勇気がある」という見方をされたことが意外であった。そして、美術作家として異国で挑戦することは、確証や保障のない状態で挑む不安定なもので、それを突き動かしたのは確かに「勇気」ではなかったか、と改めて考える契機になった。そして、自身の歩んできた物語と、鎖国と開国の歴史を重ね、それらを推し進めたのは「勇気」ではないだろうかと提言する。
この織物が解かれる。《閉じたり開いたり そして勇気について(1)》は織物の緯糸が抜かれ、経糸のみが残され図像が消失する。《閉じたり開いたり そして勇気について(拗れ)2》は織物の表面と上下裏表が反転した面の左右のあいだを経糸が捻じれる。《閉じたり開いたり そして勇気について(摩擦)》は表と表裏が反転した左右のあいだを糸が交差するように編み直される。《閉じたり開いたり そして勇気について(織り直す)》は同じく表と反転した左右のあいだを垂れ、新たな菱形の支持体として織り直される。そして、解かれた部分の解釈はこの「読む織物」の読者/鑑賞者に託される。
解かれた織物が語るもの、それは織物のデザインとしてアイコン化され記号化されることで省略、黙殺されてきた声なき声であり、その蠢きのようなものであるかもしれない。もしくは、「鎖国」「開国」の歴史と現代を踏まえて次の時代を切り開いてゆく未来を暗示させるものであるのかもしれないし、「勇気」とは別の歴史解釈を問いかける余地であるのかもしれない。また、手塚は織物を解くことの自らの解釈のひとつとして「全てが崩壊してゆく※1」ことだと話すが、そのように考えると、物事が崩壊する刹那の美しさであると解釈することもできるし、創造と破壊を繰り返す手塚の美術家として、創造主としてのモチベーションとも捉えることができる。
《古地図に空路図(岡崎)》は当館の収蔵資料である18世紀イギリス製の洋古地図であるアジア図の図柄をプリントした布に、空路図を手縫いで刺繍している。中世では大陸のかたちや国の位置関係は海路をベースにして考えられてきたが、現代では飛行機によって道のない空を飛んで行くため、機内や空港で見る空路図はそのイメージを放物線状の線で表現している。地図は世界観と地理的な知見の反映である。《アジア図》は、開拓者たちの命を懸けた航海と冒険、あるいは多くの犠牲なしに描かれることはなかった。空路図における都市と都市の結び方は、インターネットで世界中が繋がっているように、地理や距離の障害をシームレスに超えて容易に繋がるイメージが反映されている。古地図と空路図の重なりは近世と現代それぞれの世界観の重なりである。
《同一のふたつの織物(H&Mのスカーフ)》は手塚がロンドンのH&Mで購入した同一のスカーフを素材に制作した作品である。手塚は美術家マルセル・デュシャンの造語である「アンフラマンス(inframince=極薄)」が意味する、全く同じものの微細な差異ということに着目し、似たようなもの同士の疑似性ではなく、同一のものの違いを見出すことをかたちにする。本作は同じ商品であるスカーフから異なる色の糸を解いて抽出している。最新の流行を取り入れた大量生産/大量消費のファスト・ファッションでは同じ型の商品は基本的にどれも同じであるが、同一物であればあるほど、個体差としての「アンフラマンス」な差異に近づく。
《影のこと》は既成の一枚の布から、手塚の知人であるという人物のシルエットに沿って黒色の糸を抜き、それが布地に残された部分によって人物の姿を描き出す。そして布から抜かれた糸を垂らすことによって、糸が図となり、布の枠外に地としてもうひとつの人物の姿を浮かび上がらせる。影は布に残された黒い糸が残るシルエットであり、垂らされた糸によって枠外に浮かび上がる仮設的なもうひとつの姿である。
それは例としてナラティブを補充するものである。一枚の布に例えられた「わたしa」から、恣意的に形成された自意識による「わたしb」が立ち現れる。しかし、「わたしb」の形成のために「わたしa」から取り除いた糸は、「わたしa」とは別の場所に「わたしc」を仮設的に生み出す。
「わたしb」は主観的な自分であり、明確な根拠や理由がなく「わたしa」との関係、つまりアイデンティティは脆弱で不安定である。しかし「わたしa」の外側に仮設的に表出した「わたしc」によって、「わたしa」と「わたしb」の関係は保証され安定する。本展の言葉を用いれば、切開され分断された主体は、わたしの外部である他者による客観的な視点から「わたしc」を見出し縫合される。
おわりに
手塚愛子の《影のこと》における「わたしc」は、他者から見た自分であり、他者が語る自分である。この他者の視点や言説から導かれる自分と主観的な自分との縫合は、統合失調症の治療法として用いられるオープン・ダイアローグの手法に関連する。オープン・ダイアローグは「開かれた対話」として、患者の独白(モノローグ)ではなく、友人や家族、医師や看護師が集まりオープンエンド形式で対話を行うというものである。その中には「リフレクティング」という時間があり患者を前にして、患者以外の人が患者の様子や治療方針について話し合う。患者は他者により「自分の目の前で自分の噂話をされる※2」ことを聞きながら自分の輪郭を外部の視点から再構築する。オープン・ダイアローグは精神疾患の治療において、自己の分断を「想像的に補充する」作業を手助けするのである。
それは自己物語が主観的なナラティブでは完結しないことを示している。《影のこと》における支持体からぶら下がった糸によって表出する「わたしc」は、ぶら下がった糸であるが故に支持体の角度やあるいは空気の動きによって微妙に変形する。「わたし」は絶えず揺れ動く安定しない存在である。故に「わたし」はその都度自分の断片を縫合し、再構築を繰り返す。自己物語は創作であり、表現であるのだ。
美術作家は繋がらない溝、分断を創作によって埋めることを試みる。分断される対立は本展で言えば「自然と人間」、「美術と工芸」、「現実と虚構」、「内と外」、「過去と現在」、「私と私」などである。美術作家は自身が顕在化させる分断を、超越的、魔術的とも言うべき創造によって縫合する。そのアイデアと方法は鑑賞者に同様の経験を疑似的に体験させるものである。この縫合に果たされるもの、私たちを同期させるように突き動かし、共振させる魔力のようなものこそ、私たちを魅了する美と呼ぶべきものであり縫合を促すマクガフィンであるのだ。
※1 手塚愛子展トーク・イベント、2024年1月22日、KYOTO INTERCHANGE
※2 斎藤環『オープン・ダイアローグとは何か』医学書院、2015年、26頁