Statement
Certainty / Entropy (確実性とエントロピー)シリーズについて
手塚愛子
Certainty / Entropy シリーズは、2014年にエルメス・シンガポールでの個展の際に制作されました。私自身がこの4種類の織物のためのデザインを制作し、南オランダのティルブルフという街の、織物美術館の中にある工房「テキスタイル・ラボ」の職人の手により織られました。そして、再び私自身の手でその織物を解いていくというプロジェクトです。
自分自身で織物をデザインし、その織物を用いて作品を作ることは、私にとって長年の夢でした。私の作品制作における「解体し、再構築する」というコンセプトに厚みを与えるものになると思われたからです。その翌年には再び「Certainty / Entropy (England 6)」という同シリーズで、織った織物を解かずにそのままの織物として見せるインスタレーション作品を制作しました。金糸で織られた織物の裏側に現れるシンボルを、より明確に見せることが狙いでした。
この4種類の織物は、20世紀のペラナカン(シンガポールのローカル文化) 、16世紀のイギリス、8世紀の日本、18世紀のインド、このそれぞれの地域と時代から、織物もしくは染物の文様を引用しています。また、この作品のもう一つの要素として、現代社会で使われている記号(シンボルやマーク)を用いています。@(アット)マーク、©(コピーライト)マーク、バイオハザードマーク(生物的危険を表す)、オーガニック食品のマー ク、原子力発電のマーク、ピースマーク、などを、前述の伝統的な文様の中に滑り込ませており、それら過去と現代の層が絡み合う織物が、最終的に解かれています(2014年のシリーズ)。「Certainty / Entropy (England 6)」(2015年)では、裏側にくっきりとそのシンボルやマークが浮かび上がります。
2014年1月、このプロジェクトのためにシンガポールを訪れた折、私はペラナカンという名の文化に初めて出会いました。ペラナカンとは、シンガポールの一つのローカル文化の総称であり、裕福な華僑とマレーシア人もしくはインド人の混血から産まれた文化のことを言うそうです。細かいビーズワークが有名ですが、ペラナカンはその色彩や建築など、生活形態の総称を意味するそうです。
シンガポールはイギリスによる数百年に及ぶ統治の影響が色濃く残る地域です。ペラナカンのビーズワークやテキスタイルも、イギリスもしくはアイルランドからの影響が強く見て取れ、その文様の構成は明らかに西洋的であるのに、よく見ていくと、その細かい文様の中には、パイナップルや蝶々、トンボといった、西洋の織物の文様では見かけない、南国のモチーフが織り込まれています。私はペラナカンのテキスタイルワークを目の前にし、「まさに歴史が織り込まれている」と強く感じたのです。
そのような文化の融合は世界各地の造形物に見て取ることが出来ますが、ペラナカンでは特に、被植民者でありながら非常に楽天的に植民者の文化を取り入れ、自分たちのルーツも軽やかに入れ籠んでいく鮮やかさがあり、特別な新鮮さがありました。それは第二次世界大戦における日本軍侵攻以前に続いていた、イギリスの統治の仕方にも関係しているように思えます。私はこの出会いを機に、ペラナカンのテキスタイルワークの文様を新しい作品に引用することにし、そこに、シンガポールの歴史に深く関わってきたイギリス、インド、日本の伝統的な文様を絡めることにしました。
現代を生きる私たちは多くの記号やシンボルに囲まれて生活していますが、それらが意味することが多様であることはもちろんのこと、様々なシンボルが混在する世界は大きな矛盾を抱え込んでいると感じることがあります。一方は平和をうたい、他方では個人の(金銭的な)権利を主張し、あるものは生物的危険を注意喚起しながら、一方では健康という「商品」を主張する。これらの種々多様で一貫性のない記号の氾濫は、私たち人類が生み出したものであり、私たちの奥に潜む欲望と直結しているように思えます。
古代世界における装飾の意味はシンプルで、大体が「多産」「豊穣」「安全」という三つのカテゴリーで説明できるとよく言われます。しかし、古代の人々の生活や欲望も同じくシ ンプルだったのでしょうか?私にはそうは思えません。彼らも現代の私たちと同じく、矛盾した欲望を抱えながら葛藤し、生きていたのだと思います。近代以前の権力者は、なぜ豪華な織物を作る欲望を持ち、それを人々に見せつける必要があったのでしょうか。その衝動は、彼らが常に、自身の権力を失う不安に駆られていたために起きたのではないでしょうか。織物や装飾が豪華になればなるほど、権力者の不安は大きく深刻だったとも見て取れ、そこには目の前に見えているものとの反転が起きています。また、近代以前の装飾品の完成度には目を見張るものがありますが、それに携わった職人や労働者は、権力者の命令に背くことはできないという現代とは違った緊張感が造形物に乗り移っているとも見て取れ、ここにも「ただ単純にシンプルな欲望しかなかった」とは言いがたい、反転した状況が想像できるのです。
両義的な問題や欲望について葛藤することは、人類にとって普遍的であると言えると思います。私がこのプロジェクトで引用した過去の織物を織った人、デザインした人たちはすでに亡くなっていますが、私は彼らに対する想像力を常に持っていたいと思います。私はこれらのリサーチから、過去の織物と現代的なシンボルを共に織り交ぜ、自分自身の織物を織ることを決めました。そしてその織物は再び作者の手によって解かれることにより、お互いが溶け出すのです。
この織物は、私の、あるいは私たちの織物となり、私の死後のずっと先の世界で誰かが見つけ、私たちの時代を想像するかもしれません。私が博物館や書物で出会う織物や造形物が、同じく私にとって、そのきっかけであるように。