機能する(或いはしない)袋
(アーティストステイトメント、国際芸術センター青森の展覧会のために)
袋の底が破けて中身がこぼれだすようなイメージが、繰り返し立ち現れます。
複数のなにものかをひとまとめにし、区別し、名付け、持ち運び、管理することのできる袋は、たとえば私たちのからだの延長とも言えるでしょう。
しかし、「うまくいく」はずだった袋はその底がたびたび破れ、持っているはずだったもの、持ち続けていたかったもの、名前を与えたものたちが、ぼろぼろとこぼれ落ちていきます。
さて、今回私は幸運にも、昔この地域で使われていた布製の袋、ふとん、こぎん刺しを見せてもらうことができました。まだ布がとても貴重だったころの、売るためにではなく自分たちで使うために作っていたころのものです。
幾重にも、何代にも渡ってつぎはぎされ修復された袋を見ていると、わたしたちがもう思い出せないであろう何かが、そのなかに入っているように思われました。さらに、破ける底を何度も補修しようとしたその痕跡は、先の袋のイメージ(名前の分割からこぼれ落ちてしまうものに姿を与えようとすること)と、重ね合わされました。
理想の袋があるとすれば、一度に選ぶことができない複数の可能性と、名づけることのできない何ものかの気配に、とりあえずの形を与えるためのものでしょう。しかしそれは同時に、底が抜けてあふれ出す「不可能性のふくろ」です。瞬時にかすめ、たちまちのうちに消え去ってしまう、機能しない袋でもあるのです。
手塚愛子 2008年 青森にて
Photo by
山本糾