Statement

プリズムとラグが示すもの − 織物を解くことの解釈

今回の展覧会では、「虹」ということばがキーワードであるという提案を受けました。私は「虹」と自分の作品の関連性について意識したことはありませんでしたが、展覧会タイトルを練る段階において、考えたことをここに記しておきます。

虹とは、普段は見えていない複数の色が光の屈折によって出現したものですが、「プリズム・ラグ」という展覧会タイトルが示す「プリズム」は、虹を発生させる構造体、装置のことです。このことから、プリズム=虹を発生させる装置=見えないものを可視化する作品、と言い換えることが出来ます。また、「タイムラグ」や「ジェットラグ(いわゆる時差ぼけ)」という言葉でよく使うように、「ラグ=lag」とは「あるものとあるものの間に起こるズレ」を指し示します。光の屈折により虹が発生する現象を「ラグ=ズレが生じている」と言えるのはもちろんですが、「プリズム」という言葉にさらに「ラグ」という言葉を付加しようと思ったのは、この「ズレ」という観点が私の作品制作にとって非常に重要な部分を占めるからです。

私が織物を解き、そして解かれたものから新たな何かを再構築する過程で見せていくものは、出来上がってしまったように見える歴史への視線を少しだけ「ズラす」ことができないか、という提案を含み持っています。時間は不可逆だから、人は二つの選択肢を同時に選ぶことができない。身を切るように、一つしか選ぶことが出来ない。一つを選ぶと言うことは、選ばれなかった多くの可能性たちが葬られるということです。そして、時間の矢とともに出来上がったものが織物だ、と言うことができるとしたら、その織物は、おびただしい数の決断、捨てられた可能性の蓄積だと言うことが出来ます。そして取捨と決断の蓄積である織物を解くことは、選ばれなかった可能性について考えること、しっかりと織られた糸目の間に見え隠れする透明なものたちを見ようとすること、私たちが偏見のなかでしか生きることができないことを自覚することです。この透明なものを凝視しようとすることで、私たちは一瞬の自由を獲得することができ、それが次の選択に力を与えます。

この展覧会で同空間に展示されるモネ、シニャックという印象派・新印象派の画家たちと、私たちの間には100年の隔たり(ズレ)があります。パースペクティブを解体し主体的な視覚の獲得へ挑戦した彼らの時代性と、現在の私たちの状況との間にはズレがあると言えるかもしれません。しかし、「見えていないものを出現させる装置を追い求めたということ」という視点先の意味での「プリズム」という言葉によって、双方は深く結びつけられていきます。

 

手塚愛子
2011年 ロンドンにて