Reference

テキスト:天野一夫

天野一夫(豊田市美術館 チーフキュレーター)
岡崎市美術博物館「森としての絵画」展(2007年)カタログ文章より抜粋

手塚愛子の場合、たとえば《縦糸を引き抜く 新しい量として》は、ゴブラン織を組成しているなかから白い縦糸をある量のみ解いたもので、その楕円の弧の長さと下部の解く長さが等しいごとく、ひとつの数学的な解のような姿をしている。組まれた文様は、解かれることで再びあいだを開けてたわみ動いてゆく。ペノーネ的な時間的遡及で再び見出された白い糸は、見えない組織体をあらわにして、代わりに不断に変成していく生命体的なイメージを想起させる。我々はそこに人影のような暗がりを見ないだろうか。それは絵画の崩壊であろうか。絵画面は袋のような立体的なものとしてイメージされ、そこからこぼれ落ちるものがあるだろう。整然とした文様と裏の放埒さは、そのようなイメージの在り処を語っている。そして、そのような表裏の交通面としての独自の観念として「絵画」は立ち現れてくるだろう。