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<現代アートの現場から(縦糸を引き抜くー五色)>

テキスト:高階秀爾(大原美術館館長)
(「本」No.47、表紙解説 2009年)

円形に張られたゴブラン織の織物から、縦糸だけを引き抜いて束ねる。それも隣り合うふたつのパネルからそれぞれ赤なら赤、青なら青と一種類の色糸だけを引き抜いてまとめているので、全体で五彩の色鮮やかな糸の花束が生まれる。横一列に行儀よく並んだパネルをふたつずつつなぐその花束は、わずかなふくらみを見せる整然とした曲線模様の優雅さと、何よりも混ざり気のない純粋な色彩の輝きで見る者を惹きつける。どちらかと言えば比較的地味で複雑な色調の織物のなかに、このような鮮麗な色がひそんでいようとは、容易に予想することはできない。実際にその成果を眼のあたりにすると、まるで蛹(さなぎ)が華麗な蝶に変身するのを見るような快い驚きと、賛嘆の念を覚える。卓抜な構成と言ってよいだろう。

だがそれだけではない。糸を引き抜くという行為は、縦糸と横糸を織り合わせて作られる織物を解体し、その構造を明らかに示してくれるが、同時に色彩の持つ妙味、その秘密をも解き明かして見せるのである。織物はさまざまの色糸の重なり合いから成り立っているが、それは、例えば小豆と大豆を混ぜ合わせた場合のように、別々の色が混在しているわけではない。五色の、さらにはそれ以上の種類の色糸はひとつに織り合わされることによって、まったく新しい色調を生み出す。そのことは、さまざまの種類の顔料を並べ、重ねることによって描かれる絵画作品の場合も同様であろう。

そもそも「絵画」という言葉は、今では英語の painting に対応するひとつのまとまった概念として用いられているが、元来「絵」と「画」とは別物であった。「画」とは、その文字のかたちからも想像されるように、もともと線によって区分けすることを意味した。つまりデッサンである。それに対し「絵」は、糸が会うというその文字の示す通り、本来は織物のことであった。さまざまの糸が出会って、ひとつの新しい「絵」の世界が構成される(手塚愛子は、かつて「糸 会」と題する作品を作ったことがある)。そこから生まれて来るのは、奥深い色の世界である。

織物を解体するというのは、きわめて知的な操作である。そこに色の秘密を見出すのは感覚の豊かさであろう。手塚愛子は、本作品に見られるような明晰な秩序への意志と豊麗な色彩感覚によって、現代アートにひとつの新しい扉を開いたのである。

 

2009_HON_Text by Shuji Takashina_rq